東日本大震災が起きていなかったらカイロプラクターにはなっていなかったでしょう。

今年も3月11日がやってきました。

 

悲しくて辛い、私にとっては転機となった東日本大震災が起きた日です。

 

2011年3月11日

当時私はサラリーマンでした。

震災時は職場におり、皆外に避難しました。

 

「こんな地震は初めてだ!」

うろたえる年配男性社員。

 

「携帯そっちはつながりましたか?私はメールはできそうです。」

冷静沈着な若手女性社員。

 

1時間以上外で待機してましたかね。

そして「全員退社してください」ということになり家に向かいました。

 

何しろ家族が心配ですよね。

妻、次女、三女、父、母とは無事会えました。

 

長女の高校が少し遠いんですが、ケイタイもつながらないため確認がとれません・・・

おそらく電車もストップしてますし家に帰ってこれないんでしょう。

 

ようやく連絡がとれて私が車で高校に迎えに行きました。

通常なら片道30分もあればいけるのですが、信号が使えなくなり大渋滞・・・

 

1時間以上かかり高校へ。

無事長女と会うことができました。

この時は心底ほっとしました。

 

帰りは夜も更けて、停電により真っ暗な街をひたすら走り、またもや大渋滞・・・

今晩の夕飯を購入するためコンビニへ。

こんな時でも営業しているコンビニはやはりあらためてすごいと感じました。

店員さんも家族のことが心配でしょうに。

「連絡はついたので安心しました」

そういって仕事なさっておりました。

 

食材はガラガラ品切れ状態で、カップ麺とパンをいくつか買って帰った覚えがあります。

 

家に帰っても停電のため、お風呂も入れず、テレビも見れず、暖房器具も使えず。

懐中電灯の灯りを頼りに過ごし、毛布にくるまり一夜を過ごしました。

 

そして翌日のニュースで知った、東北の状況・・・

 

この日思ったんですね。

「今日死んでいたかもしれなかったんだな」

 

たまたまこの地にいたから助かった。

車で移動できた。

家族と会えた。

買い物ができた。

家で眠れた。

 

普段あたりまえのことがこの日はすごく奇跡に思えて。

 

 

そしてこう考えるようになりました。

「生かしてもらったんだから人生を精一杯楽しく生きよう。」

 

自分の体をまず良くしよう。

家族の体も考えよう。

好きなことを仕事にしよう。

 

 

私は、不器用で口下手で、とても世のため人のためなどと大層なことは言えません。

 

しかしながら、縁あってミリージュに来院された方には

働ける体を維持し、好きなことができる人生をサポートしていきたいと思います。

 

”精一杯楽しく生きる”

 

職場にそりが合わない人がいても。

自分勝手なダンナ(女房)がいても。

子供の学費にお金がかかっても。

割り込みする車がいても。

電化製品が相次いで壊れても。

お気に入りの服がシミになっても。

雇用が心配でも。

 

カラダが丈夫なら乗り切れます。

 

そして

どうにもうまくいかない!

会社がイヤ!

いろんなことがめんどくさい!

我慢の限界の時には第三者の私にぶちまけてください(^^)/

 

それは愚痴を吐くのではなく本音を話すということです。

本音を話したいけど話す場所がないとストレスになりますからね(^^♪

 

【まだ初々しさが残る? カイロプラクターなりたての頃】

図1

 

東日本大震災が起きていなかったらカイロプラクターにはなっていなかったでしょう。」への2件のフィードバック

  1. 久しぶりです。
    あの日は蔦谷にいてゆりかごのように揺れました。
    そこにいたら、まさに生きていなかったかも。…
    本当に地獄絵図でした。

    ひとつ気になる事が…
    先生は口下手???
    少し違うような。
    あっ。笑うところですか?

    • ひーさんは、中越地震も経験してるしね・・・
      自然は驚異です。

      自他ともに認める口下手ですが何か?^_^;

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